2011/04/27

Harold PInter, "Moonlight" (Donmar Warehouse, 2011.4.26)

死の床から見つめる家族の肖像
"Moonlight"

Donmar Warehouse公演
観劇日:2011.4.26  19:30-20:40
劇場:Donmar Warehouse

演出:Bijan Sheibani
脚本:Harold Pinter
セット:Bunny Christie
照明:Jon Clark
音楽、音響:Dan Jones

出演:
David Bradley (Andy, former civil servant & a man in his 50's)
Deborah Findlay (Bel, Andy's wife, 50)
Daniel Mays (Jake, Andy's son, 28)
Liam Grrigan (Fred, Andy's son, 27)
Lisa Diveney (Bridget, 16,  ghost of Andy's daughter, now dead)
Carol Royle (Maria, Andy's former lover, 50)
Paul Shelley (Ralph, Maria's husband and a football referee, in his 50's)
(年齢は私の推測ではなく、脚本に書いてある。)

☆☆☆☆ / 5

ステージ中央に大きなベッドが置かれ、男が寝ている。その男、主人公のAndyは病気で死にかけており、妻のBelが付き添って、ベッドの横で刺繍などしながら、辛抱強く相手をしている。そのAndyの妄想から生まれたのか、現実なのか、舞台の別のところでは、彼と関係の切れている息子2人が会話を繰り広げる。また、彼の元の愛人のMaria、彼女の夫でサッカーのレフリーのRalphなども現れる。更に、Andyの亡くなった娘(多分自殺?)のBridgetがステージを彷徨うように漂いつつ独白をする。

Andyは、常識的に見ればひどく横暴で無神経。しばしば乱暴な言葉を吐く。しかしBelは長年そういう男と連れ添ってきたので慣れていて、手慣れた言葉でやり過ごすし、大変したたか。強い精神と、その背後に隠された繊細さを感じさせる。彼のMariaとの浮気も、今は人生の些細な一コマのようでもあり、また、夫婦間の裏切りを超えた、人間同士の繋がりのようでもある(Mariaはその後、Belの恋人になったとAndyは言っている)。

JakeとFredは2人で意味のない(ように聞こえる)会話を延々と繰り広げる。時には激しい動きもする。ウラディミールとエストラゴンのような、あるいはローゼンクランツとギルデスターンのような2人。Fredは浮浪者のようなみすぼらしい風体。双子のような感じがし、寄席漫才のようでもある。脚本では指定されてないと思うが、Fredは最初寝床のようなものに寝ているので、この2人と、両親が視覚的に対照されていると感じる。彼らの会話には親はあまり登場しないが、それだけに、彼らがその他の話をせわしなくすればするほど、彼らが父との関係に捕らわれているのが感じられるし、同じステージ上に同時に居る死にかけた父親や彼を看病する母親との関係の断絶が際立つ。後半、Belが2人に電話をし、Andyが死にかけていることを告げるが、彼らは間違い電話をかけられたクリーニング店のふりをして、繰り返し"Chinese Laundry"と冷たく機械的に答えるのみ。

終わりに近づくに連れ、Andyは子供や生まれもしなかった孫のことを言い出し、焦燥感をにじませる。何も解決せず、カタルシスもなく、突然劇は終わる。

十分に理解出来たとは到底言えないが、それでも素晴らしい作品だと感じた。死を前にした現代人を、Pinter独自の文法で徹底的に余計なものをそぎ落として見せる。そこには、結局妻と子供、そして愛人といった人だけが残っていた。最後は人間、自分と家族だけが残される、ということだろう。しかし、その家族との関係がAndyの場合疎遠になって全く会えなかったり、娘はもう死んでいたりする。人と人は断絶している、しかし、人は他の人、特に家族を求め続ける、という切実な思いが痛いほど伝わる作品。リアリズム劇の感動とは全く違う不思議な説得力を感じさせてくれる。

今回、脚本を最後まで読んでいったので、観劇までにある程度作品の意味を考えていたが、実際のステージを見ると、言葉が見事に生気を帯びたのを感じたし、読んだだけでは分からないこともよく分かった。特に同じ舞台に親子が常に居続けることで生まれる効果が興味深かった。繰り返し見ると、もっと発見があるだろうと思う。

俳優が皆素晴らしいのだが、特にDavid Bradleyの存在感、間の取り方、緩急のつけ方など、いつもながら感心する。彼はテレビ・ドラマにも脇役で良く出るが、出てくるといつも強い印象を残す俳優。今回の我が儘な病人Andyは、色んな人が、「こういう病人いる/いたよね」とか、「私はこうはなりたくないね」と思うような、ひとつの「タイプ」を見せてくれる。

タイプということで思い出すのは、この劇の設定、ステージ中央に置かれたベッドや、死に至る病人は、まさに中世道徳劇の設定と同じ。キリスト教の教えは無いが、"The Castle of Perseverance"とか、"Everyman"に類似した面がある。Ralphがサッカーのレフリーであることから、神の法や裁きを連想させる台詞もある。Bridgetがあの世からの魂として彷徨っていること、Andyの台詞にこの世とあの世の境についての彼自身の混乱を示しているものがあることなど、中世劇との関係で考えると含蓄豊かであり、すぐに答の出ない面白い点がいくつかある。舞台を見た上で、台詞を細かく見て行くと、色々と面白いに違いない。例えばAndyの何気ない台詞に、"The bell ringing for Evensong in the pub round the corner?"なんていうのもあった。

この劇は1993年の作品。その前の年、Pinterは母親を亡くしている。彼自身も1930年生まれなので、老境を迎えつつある時期の作品。また当時彼は一人息子と疎遠になり、連絡を取れない状態であったそうであり、色々と自伝的要素が影響を与えていると思われる。

Donmarのステージにはベッド以外にはほとんど何も置かれず、裸の「ユニバーサル」な空間となっていた。漆黒のステージを縁取りする四角い照明が囲み、そして、台詞を言う登場人物に照明が当てられていた。グローブ座などとは違う小さな空間だが、ある意味、そのユニバーサルな広がりは、中世・ルネッサンス劇の伝統を思い出させる。いや、Blackfriarsなんて、暗くてこういう感じだったかも知れない。ステージの縁取りをする照明は、昔なら並んだロウソクだ。

死、病、家族、愛、裏切り、記憶・・・。劇そのものに加えて、色々な事を自分に引き寄せて考えさせる劇だ。


2 件のコメント:

  1. ライオネル2011年4月27日 22:23

    お久しぶりです!
    書き込みしようと思いつつ、時間に追われていました。

    この公演に大変、興味を持っていました。
    ブラッドレイさん、良いですよね。
    良い舞台だったようですね・・・・・私も見たかったです。
    日本でピンターを見ることなんて、ほとんどないのに、ロンドンではよく公演していますね。

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  2. ライオネルさま、コメントありがとうございます。

    ピンターの台詞は一種の自由詩だと思います。ですので、なかなか日本語では良さが伝わらないのではないでしょうか。時間や空間を超えたところがベケットに似ていますが、しかし妙にイギリス臭いところもあって、特にユーモアは理解が難しいですね。こんな掴みどころに困る劇が何故これほどイギリス人に受けるのか、不思議なんですが、人気ありますねえ。

    ブラッドリーは脇役が多いかと思いますが、勿体ないです。今回つくづく感じました。彼も実にイギリス人らしい役者ですね。 Yoshi

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